昭和24年7月15日午後9時20分頃、中央線の三鷹電車区構内に停留していた7両編成の無人電車が突然に動き出し、次第にスピードを上げて車止めを突破し、三鷹駅ホームに突っ込み、さらに暴走を続け、道路を横切り、駅前の運送店に飛び込み、ようやく止まるという事件が発生しました。
この事件でホームから改札口へ向かっていた乗客等が電車に跳ね飛ばされたり下敷きになり、6名が死亡、十数名が重軽傷を負いました。これが三鷹事件です。
竹内景助さんは、共犯者とされた9名と共謀の上、三鷹電車区に停車中の無人電車を発車させ、電車の往来に危険を生じさせ、付近に居合せた6名を死亡させたという罪で起訴されました。
(竹内景助さん)
第1審の東京地方裁判所は、竹内さん以外の被告人に対し全員、無罪判決を言い渡し、竹内さんには無期懲役の判決を言い渡しました。事件は竹内さんの単独犯行とされたのです。
第2審の東京高等裁判所では、竹内さん以外の被告人の無罪が確定し、竹内さんに対し何の証拠調べもなく死刑判決が宣告されました。
これに対し竹内さんは上告して、事件は最高裁判所大法廷に係属しました。
弁護人は最高裁判所に弁論を開くように強く求めましたが、最高裁判所はこの要請を退け、昭和30年6月22日、8対7の僅差で竹内さんの上告を棄却しました。
竹内さんは、無罪判決を求め、昭和31年2月3日に東京高裁に対して再審を請求しました。
しかし東京高裁の担当部は再審申し立てから、約10年間放置したまま判断をせず、竹内さんは健康を害し、昭和42年1月18日に脳腫瘍のために死亡し、手続が終了してしまいました。
その後、44年以上が経過して、竹内さんの長男である竹内健一郎さんが、平成23年11月10日に第2次再審請求を申立てました。野嶋はこの時から主任弁護人として三鷹事件の再審請求を担当しています。
しかしこの第2次再審請求は、最終的に令和6年4月15日、最高裁判所で特別抗告が棄却され、再審請求を棄却する結論になってしまいました。
これに対して竹内健一郎さんは、令和6年9月5日、合計8点の新しい証拠を基に、東京高等裁判所に第三次再審請求を申立てました。再審請求事件は、東京高等裁判所第4刑事部に係属することになりました。
竹内景助さんの有罪の根拠となる証拠は、竹内さんの自白しかありません。しかも竹内さんは、逮捕当初が否認、次が単独犯行の自白、その次が共同犯行の自白で、裁判が始まってからは単独犯行の自白、その次が否認、その次が単独犯行の自白、最後は否認と、否認と自白を繰り返していて、大きく供述が変わっています。この事実だけ見ても信用性の低い自白と言えます。
竹内さんの自白では先頭車両のパンタグラフだけを上げて電車を発車させたことになっていますが、電車が発車した段階で先頭車両だけでなく第2車両のパンタグラフも上がっていたことを示す重要な証拠が見つかりました。
ここでは説明を省略しますが、私は再審請求で提出した新しい証拠によって、竹内さんの自白の信用性が否定されるべきであり、竹内景助さんが無人電車を暴走させて、本件事故を起こした犯人でないと強く信じています。
竹内健一郎さんは、亡き父の冤罪を晴らすため、最後まで戦う覚悟でおりますが、昭和17年11月生まれと高齢であり、速やかな再審開始決定、無罪判決が望まれます